原発事故、幹部は見捨てて逃げる!
=日本滅亡のシナリオを選ぶ!=
福島、東電はそうだった。吉田調書でも…
ひとたび原発苛酷事故が起きれば
原発幹部は真っ先に逃げ!
本部は撤退を選ぶ!
吉田調書を改めて読むまでもなく。
あの時、吉田所長は『踏ん張った』…
運も加わり、日本滅亡を免れた。
その時、福島第二原発もメトルダウン寸前、
奇跡の人海戦術で核爆発を免れた。
宮城県女川原発も
電源が一つ残っただけだった。
まさに奇跡的に日本滅亡は避けられた。
…再稼働など、ありえない。
3・11福島第二原発もメルトダウン寸前だった!電源ケーブルを9キロ人海戦術で繋ぐ、あと2時間の危機
宮城『女川原発』新潟『柏崎刈羽原発』 危機一髪 !『運が良かった』だけ!!
未曽有の大惨事にならなかったのは、たまたま「偶然」が重なっただけだ!日本滅亡の…
安倍首相のいう世界一安全な原発?は「世界にも類をみない欠陥基準だ」泉田知事=再稼働は許されるのか
以下、吉田調書
「踏ん張れる」吉田氏の判断尊重 直接折衝の細野氏証言 福島第一原発事故
朝日デジタル
2014年6月1日05時00分
写真・図版報道陣の質問に答える吉田氏(左)と細野氏=2011年11月12日、福島第一原発の免震重要棟、相場郁朗撮影
東京電力福島第一原発の事故に首相補佐官として対処し、吉田昌郎(まさお)所長(故人)との連絡役を務めた細野豪志氏が3時間近くにわたって朝日新聞のインタビューに応じた。
原子炉が暴走する中で第一原発からの撤退に傾く東電本店と、現場に踏みとどまり食い止めようとする現場責任者の吉田氏の間に温度差を感じ、吉田氏の判断を尊重するべきだと菅直人首相に進言した経緯を詳細に語った。▼2面=証言、調書と符合
朝日新聞は、吉田氏が政府事故調査・検証委員会に答えた「吉田調書」の中で細野氏に言及した部分を提示し、インタビューした。
細野氏は事故対応の取材にほとんど応じてこなかったが、事故から3年以上が過ぎ、
「記憶の限界に来ている。そろそろ話さなければいけない」と考えていた矢先に吉田調書報道を見て、証言を決心したという。
細野氏が吉田氏と本店の間に最も温度差を感じたのは事故発生3日後の2011年3月14日夜、2号機原子炉に冷却用の水を入れられなくなった後だ。
この時、細野氏は吉田氏から電話が2回あったと証言した。
最初の電話は水が入らないことを伝えるもので、細野氏は
「(吉田氏は)福島第一で作業できない状況になる可能性を示唆したと私は受け取った。完全に現場から撤退しなくてはならないと」と振り返った。
2回目の電話は水が入り始めたという連絡だった。
細野氏が「頑張ってやっていただけますよね」と言うと、吉田氏は
「大丈夫です。まだ頑張れる。現場の士気は衰えていない」と応じた。
細野氏は「元の吉田さんに戻った」と思い、弱気になった1回目の電話の時と異なり収束作業をあきらめない強い意思を感じたという。
同じ時間帯、東電の清水正孝社長は
海江田万里経済産業相に
何度も連絡を取ろうとしていた。
細野氏は海江田氏や枝野幸男官房長官から
「東電は撤退したがっている」と聞いていた。
細野氏は
「清水社長はじめ会社の方から撤退論が出た。
吉田氏とニュアンスの違いがあると感じた」
吉田氏には、
ここは踏ん張るしかないという腹の決め方があった。
官邸も全面的に支援をすると決めた。
問題は東電が現場をバックアップする腹があったかどうかだ」と証言。
「東電社員で官邸にいた人はもはや打つ手がないという雰囲気だった」とも語り、
現場の吉田氏と東電本店の間で撤退を巡る認識に大きな違いがあったことを明らかにした。
細野氏は吉田氏との電話を踏まえ、菅首相に「現場は踏ん張れる状況です。吉田氏の判断を尊重すべきです」と進言。菅首相は15日未明、清水社長を官邸に呼んで「撤退はあり得ない」と告げた。
その後、15日午前6時すぎに2号機の異変を伝える情報が入ったが、放射線量は上昇しておらず、吉田氏は午前6時42分、すぐに現場に戻れる第一原発構内での待機を命令。しかし所員の9割が命令に違反して10キロ離れた第二原発へ撤退したことが「吉田調書」で判明している。=肩書は当時
(木村英昭、堀内京子)
■「公開していい」
細野氏は自らも政府事故調の聴取に応じたことを認めた上、その内容を記録した調書を公開していいとの考えを示した。「政治家は歴史に対する責任がより重い」と語った。
◇
「吉田調書」の報道を続けます。朝日新聞デジタルでは「細野証言」の詳報を2日(月曜日)に順次配信します。
朝日デジタルより
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11167086.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11167086
吉田氏切迫「2号機に水が入らない」
細野氏証言、調書と符合 福島第一原発事故
朝日デジタル
2014年6月1日05時00分
インタビューに答える細野豪志氏=5月27日
福島第一原発の最前線で事故対応を指揮した吉田昌郎所長との連絡役を務めた細野豪志氏。その証言は「吉田調書」に残る吉田氏の言葉と重なり合う。▼1面参照
■携帯へ電話2本
細野氏が吉田氏と携帯で連絡をとり始めたのは2011年3月12日に第一原発1号機が爆発してからだ。
細野証言によると、第一原発からの撤退問題が浮上する14日夜、細野氏は吉田氏から2本の電話を受けた。午後7〜8時ごろとみられる。
「吉田1F所長」。細野氏の携帯に表示が出た。吉田氏からかかってきたのは初めてで、「ことの重さを感じた」という。官邸5階の首相応接室を外して電話に出た。
「吉田です」。その声は深刻そうな響きを伴っていたが、ゆっくりと落ち着いていた。電話の向こうはざわざわしていた。
「2号機に水が入りません。原因が分かりません」
その切羽詰まった言葉に細野氏は「自分たちは頑張ってきたけど、ダメかもしれないというニュアンスと受け止めた」という。
この場面は吉田調書にもある。吉田氏が細野氏に「炉心が溶けてチャイナシンドロームになる」「水が入るか入らないか賭けるしかないですけども、やります。ただ、関係ない人は退避させる必要があると私は考えています」「1号、3号と水がなくなる。同じようなプラントが三つでき、すさまじい惨事ですよ」と伝えたという記録だ。
細野氏の証言が一段落した時点で、取材班は吉田調書の該当部分を示し、自身の記憶と合致するかどうかを尋ねた。言葉遣いは多少違うが、細野氏は「違和感はない」と述べた。
細野氏は吉田氏からの電話を切り、首相執務室にいた菅直人首相に対し、2号機に水が入らずに厳しい状況にあると伝えた。菅氏は長く沈黙していたという。
10分ほどたって細野氏の携帯が再び鳴った。吉田氏からだった。ここは吉田調書にない場面だ。
吉田氏は「何とか水が入った。頑張れます」と言った。細野氏はその言葉を菅首相や枝野幸男官房長官に伝えた。だが、2号機原子炉の圧力は高いままで、翌日の朝を迎えた。
■待機命令を記憶
15日午前5時35分、細野氏は菅首相と一緒に東電本店2階の対策本部に乗り込んだ。菅首相は第一原発からの撤退に傾く東電幹部を「撤退したら東電は必ず潰れる」と激しく叱責(しっせき)した。
細野氏は菅氏とともに同じ階の小部屋に移った。そこにはテレビ会議の映像が流れ、吉田氏がいる現場の様子を知ることができた。
午前6時42分。吉田氏が発言する様子が映った。前夜に想定した福島第二への撤退ではなく、すぐに現場に戻れる第一原発構内やその近くの場所での待機を命令した瞬間だ。
東電がのちに開示したこの時の映像には音声がない。菅氏とともに画像を見つめる青い防災服姿の細野氏の様子が映っている。
吉田氏はこの時を自分の調書でこう振り返っている。
「本当は私、2F(福島第二)に行けと言っていないんですよ。福島第一の近辺で、所内にかかわらず線量が低いようなところに1回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんです」
細野氏は吉田調書を見て「思い出しました。確かにそういうやりとりはあった」と語った。前夜に吉田氏から「頑張ります」という強い言葉を聞いていたため、「退避」という言葉遣いに少し引っかかったが、「吉田さんが言っているから現場が回る(対応できる)ということだろう」と受け止めたという。=肩書は当時(木村英昭)
■細野氏見舞いに「現場戻りたい」 入院中、次の世代を心配
事故から1年が過ぎた12年4月、細野氏は入院中の吉田氏を見舞った。原発の安全研究機関を作り、吉田氏をトップに起用する腹案を抱いていたが、吉田氏は「現場のサポート役をしないといけない。絶対に戻りたい」と語り、福島第一原発への復帰に強い意欲を見せたという。吉田氏は「自分たちは当事者だからちゃんとやり切る。ただ、次の世代がどうなるかが大きな問題だ」と話し、30〜40年かかる廃炉に向き合う人材確保を憂え、国に十分な対応を求めた。細野氏は退院後にゆっくり話し合うつもりだったが、吉田氏は13年7月に亡くなり実現しなかった。
事故数日後、細野氏は最前線で事故収束作業にあたる人々を、船をチャーターして海上で休息させる案を伝えたところ、吉田氏は「そういう状況にない。我々の待遇を考えるなら被災者の方のことを考えてくれ」と答えたという。細野氏はインタビューの最後に「私は東電本店や官邸にいて現場を想像していたが、調書を読んで改めて本当にシビアだったと思う。吉田所長が伝えようとしたことを自分が全部受け止められたのかと考えてしまう」と語った。(堀内京子)
◇朝日新聞は独自に入手した「吉田調書」をもとに、原発事故の真実に迫るため、当時責任ある立場にあった人々へのインタビュー取材を進めていきます。
朝日デジタルより
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11167042.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11167042
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朝日新聞は、吉田氏が政府事故調査・検証委員会に答えた「吉田調書」の中で細野氏に言及した部分を提示し、インタビューした。
細野氏は事故対応の取材にほとんど応じてこなかったが、事故から3年以上が過ぎ、
「記憶の限界に来ている。そろそろ話さなければいけない」と考えていた矢先に吉田調書報道を見て、証言を決心したという。
細野氏が吉田氏と本店の間に最も温度差を感じたのは事故発生3日後の2011年3月14日夜、2号機原子炉に冷却用の水を入れられなくなった後だ。
この時、細野氏は吉田氏から電話が2回あったと証言した。
最初の電話は水が入らないことを伝えるもので、細野氏は
「(吉田氏は)福島第一で作業できない状況になる可能性を示唆したと私は受け取った。完全に現場から撤退しなくてはならないと」と振り返った。
2回目の電話は水が入り始めたという連絡だった。
細野氏が「頑張ってやっていただけますよね」と言うと、吉田氏は
「大丈夫です。まだ頑張れる。現場の士気は衰えていない」と応じた。
細野氏は「元の吉田さんに戻った」と思い、弱気になった1回目の電話の時と異なり収束作業をあきらめない強い意思を感じたという。
同じ時間帯、東電の清水正孝社長は
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何度も連絡を取ろうとしていた。
細野氏は海江田氏や枝野幸男官房長官から
「東電は撤退したがっている」と聞いていた。
細野氏は
「清水社長はじめ会社の方から撤退論が出た。
吉田氏とニュアンスの違いがあると感じた」
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ここは踏ん張るしかないという腹の決め方があった。
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(木村英昭、堀内京子)
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細野氏は自らも政府事故調の聴取に応じたことを認めた上、その内容を記録した調書を公開していいとの考えを示した。「政治家は歴史に対する責任がより重い」と語った。
◇
「吉田調書」の報道を続けます。朝日新聞デジタルでは「細野証言」の詳報を2日(月曜日)に順次配信します。
朝日デジタルより
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11167086.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11167086
吉田氏切迫「2号機に水が入らない」
細野氏証言、調書と符合 福島第一原発事故
朝日デジタル
2014年6月1日05時00分
インタビューに答える細野豪志氏=5月27日
福島第一原発の最前線で事故対応を指揮した吉田昌郎所長との連絡役を務めた細野豪志氏。その証言は「吉田調書」に残る吉田氏の言葉と重なり合う。▼1面参照
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細野証言によると、第一原発からの撤退問題が浮上する14日夜、細野氏は吉田氏から2本の電話を受けた。午後7〜8時ごろとみられる。
「吉田1F所長」。細野氏の携帯に表示が出た。吉田氏からかかってきたのは初めてで、「ことの重さを感じた」という。官邸5階の首相応接室を外して電話に出た。
「吉田です」。その声は深刻そうな響きを伴っていたが、ゆっくりと落ち着いていた。電話の向こうはざわざわしていた。
「2号機に水が入りません。原因が分かりません」
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10分ほどたって細野氏の携帯が再び鳴った。吉田氏からだった。ここは吉田調書にない場面だ。
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■待機命令を記憶
15日午前5時35分、細野氏は菅首相と一緒に東電本店2階の対策本部に乗り込んだ。菅首相は第一原発からの撤退に傾く東電幹部を「撤退したら東電は必ず潰れる」と激しく叱責(しっせき)した。
細野氏は菅氏とともに同じ階の小部屋に移った。そこにはテレビ会議の映像が流れ、吉田氏がいる現場の様子を知ることができた。
午前6時42分。吉田氏が発言する様子が映った。前夜に想定した福島第二への撤退ではなく、すぐに現場に戻れる第一原発構内やその近くの場所での待機を命令した瞬間だ。
東電がのちに開示したこの時の映像には音声がない。菅氏とともに画像を見つめる青い防災服姿の細野氏の様子が映っている。
吉田氏はこの時を自分の調書でこう振り返っている。
「本当は私、2F(福島第二)に行けと言っていないんですよ。福島第一の近辺で、所内にかかわらず線量が低いようなところに1回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんです」
細野氏は吉田調書を見て「思い出しました。確かにそういうやりとりはあった」と語った。前夜に吉田氏から「頑張ります」という強い言葉を聞いていたため、「退避」という言葉遣いに少し引っかかったが、「吉田さんが言っているから現場が回る(対応できる)ということだろう」と受け止めたという。=肩書は当時(木村英昭)
■細野氏見舞いに「現場戻りたい」 入院中、次の世代を心配
事故から1年が過ぎた12年4月、細野氏は入院中の吉田氏を見舞った。原発の安全研究機関を作り、吉田氏をトップに起用する腹案を抱いていたが、吉田氏は「現場のサポート役をしないといけない。絶対に戻りたい」と語り、福島第一原発への復帰に強い意欲を見せたという。吉田氏は「自分たちは当事者だからちゃんとやり切る。ただ、次の世代がどうなるかが大きな問題だ」と話し、30〜40年かかる廃炉に向き合う人材確保を憂え、国に十分な対応を求めた。細野氏は退院後にゆっくり話し合うつもりだったが、吉田氏は13年7月に亡くなり実現しなかった。
事故数日後、細野氏は最前線で事故収束作業にあたる人々を、船をチャーターして海上で休息させる案を伝えたところ、吉田氏は「そういう状況にない。我々の待遇を考えるなら被災者の方のことを考えてくれ」と答えたという。細野氏はインタビューの最後に「私は東電本店や官邸にいて現場を想像していたが、調書を読んで改めて本当にシビアだったと思う。吉田所長が伝えようとしたことを自分が全部受け止められたのかと考えてしまう」と語った。(堀内京子)
◇朝日新聞は独自に入手した「吉田調書」をもとに、原発事故の真実に迫るため、当時責任ある立場にあった人々へのインタビュー取材を進めていきます。
朝日デジタルより
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11167042.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11167042
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