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朝日新聞の戦争責任【凄まじい戦争礼賛記事】第二次世界大戦、国民洗脳に果たした役割!未だ戦争責任取らず

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朝日新聞の戦争責任

【凄まじい戦争礼賛記事】

第二次世界大戦、国民洗脳に果たした役割!

未だ戦争責任を取らず!…

戦後の朝日新聞の歴史は、

偽善と自己弁護の歴史だったといっていい。

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Amazon.co.jp: 朝日新聞の戦争責任―東スポもびっくり!の戦争記事を徹底検証: 安田 将三, 石橋 孝太郎: 本

当初リヨン社から出版されたが、

朝日の圧力で絶版になり、

著作権法に抵触部分を全面変更し、

編集方法を一変して

再度公刊されたいわく付きの本。

第一章、第二章は

実際に掲載された記事を紹介して、

いかに戦意高揚、軍部協力記事を書いたかを解説する。

第三章は戦後の朝日責任者の責任のとり方、

太平洋戦争前の朝日の記事の内容、

戦時下の言論統制、軍・政府に抵抗した新聞・雑誌を紹介。

あとがきは著者の対談で、

新聞の体質は今も変わっていないと指摘する。

朝日は今でこそ反戦の牙城のような体裁をしているが、

戦前までは軍部の片棒を担いだ

日本を代表するマスコミでありながら、

まるでそんなことはなかったかのような

振る舞いをしていると告発している本です。

戦争が始まってしまえば、

たとえ戦前までは戦争反対でも

国威発揚記事を書くのは

国策としてやむを得ないと思うが、

朝日に限らず日本のマスコミは

満州事変以後から

部数増加という商売のために、

戦争をあおる記事を書き始める。

太平洋戦争末期、

日本が敗れるのがほぼ間違いない

状況になっても真相を国民に知らせず、

結果として戦争が長引いて

多くの犠牲者を出したのは

朝日を含むマスコミのせいではないかと指摘する。

もし本気で戦争を終わらせる気概が

新聞の責任者にあったなら、

東条内閣総辞職のときに一斉に書き立てて

講和の方向へ本格的に乗り出せたかもしれなかったが、

新聞の責任者にその勇気はなかった。

結局朝日はもちろん読売など、

戦後もろくに戦中の自らの

行動・言論に責任をとらず今日に至っている。

戦後60年経って、今現役の社員はみな戦後生まれだろう。

だったら、今こそ戦前、

戦中の自らの新聞社の行状を点検して

読者に披露してもいいんではなかろうか?

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第二次世界大戦中、いちばん戦争を煽ったのはマスコミ、当時では新聞だった。
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geocities.jp様より抜粋引用
http://www.geocities.jp/pekin_chan/page034.html

日本の戦争責任を追及する「朝日新聞」の戦争責任

──まず自分のアタマの上のハエをどうにかしろ

戦後の朝日新聞の歴史は、

偽善と自己弁護の歴史だったといっていい。


特集

「屠り去れこの米鬼」「朝鮮、徴兵制に感激の波高し」「洋々たり我が資源作戦」と、

戦争をひたすら礼賛し、国民を逃げ場のない洗脳状態に放り込む先頭に立ったのが、朝日である。が、

同紙は戦後、日本の戦争責任を中国・韓国の意に沿って追及する側に見事に転じる。

では、自らの戦争責任について、朝日はどう総括したのか。

凄まじい戦争礼賛記事

 朝日新聞が軍部礼賛の記事を掲載し始めるのは、満州事変以後のことである。
 「満州事変以前の日本というのは、ちょうど現在の日本のような長期的不況に陥っていました」
 と、前出の稲垣氏がいう。

 「当時は、日本人全体に軍部に対する反感があり、軍人が軍服のまま電車に乗るとうしろ指をさされるような雰囲気
がありました。しかし、満州事変勃発以後、国民感情は転換する。満州国建国によって国内の閉塞感が一気に突き破
られる感じを受けたからなんですが、朝日はそれでもなかなか軍部を持ち上げるような記事は書かなかった。

しかし、そうした朝日の報道に九州の在郷軍人会が不買運動を始め、ライバルだった毎日新聞が、朝日は売国的だ、という内
容のビラを撒くようになる。そこで朝日は役員会を開き、方針転換をはかるのです。朝日は以降、堰を切ったように戦
争を肯定し、推進する論陣を張るようになりました。」

 その変わり身の早さは、戦後遺憾なく発揮されるが、とにかく実際に当時の新聞を見てみるとそれは凄まじいの一語
に尽きる。



 と表現していた朝日が、わずか2週間後の2月21日、ヒトラーが満州国を承認する発言をするや、

その演説を、 と絶賛し、一気に擦り寄っていく。

 親独主義に転じた朝日は、ヒトラー・ユーゲントの来日にまで、



 と、歯の浮くような歓迎記事を掲載するようになるのである。

 そして、実際に戦争に突入して以降、その軍国報道は驚くべきものとなる。

 いくつか実例を紹介してみよう。

 太平洋戦争勃発に対しては、



 と、他紙とそれほどの差はないが、それ以降の工夫を凝らした戦争礼賛記事はやはり他紙の追随を許さない。



 と、米軍をさかんに揶揄した記事が出たかと思えば、


 と日本軍の南方進出を誉めたたえ、この戦争が”大東亜戦争”と名付けられれば、


 と、これまた大礼賛を忘れない。そして破竹の進撃を続ける日本軍に、




 とばかり、これでもかという称賛を送る。

 やがて、朝日新聞は、報道機関としての立場を完全に逸脱して、戦争遂行のために国民を洗脳し、

扇動していく中心的役割を果たすようになるのである。

国民洗脳に果たした役割

 前出の稲垣氏によれば、「朝日新聞は、読者に募金を募り、そのお金で軍用機を買い、軍部に献納するというキャン
ペーンまで始めます。朝日はこれを”銀翼基金”と名づけ、”千機、二千機われらの手で”というスローガンの下、まず朝
日新聞の社長・会長が率先して1万円の募金をおこない、この基金にお金を出した読者の名前を紙面に掲載しつづけ
るのです。

そのほか、軍国歌謡や戦争スローガンの募集、そして慰問金の募集など、次から次へと戦争遂行のために積極的な活動をおこなっていくのです。」

 たしかに昭和16年12月12日に掲載された。


 と題された社告は面白い。



 と、本社が10万円、社長・会長がそれぞれ1万円を献金したことを宣言しているのである。これはもはや当時の体制
に責任を転嫁できるレベルの関与の仕方ではない。

 「それだけではありません。朝日は積極的に”記者報告会”という後援会を各地で開催し、戦地から戻った特派員たち
に直接、軍部寄りの意見を述べる講演をさせて、大衆感化の重要な役割を果たすのです。紙面だけではなく、あらゆる
意味で朝日は国民を戦争に駆り立てる重大な役目を果たし続けたことになります。」(同)

 その軍国主義翼賛姿勢にかかっては、朝鮮半島で実施された徴兵制についても、こんな礼賛記事になる。






 と繰り返し大報道し、


 という見出しのもと、

(昭和17年5月15日) と、朝鮮人の手によるとされる手紙まで紹介するのだ。

 まさに軍国主義政府が感謝してもし足りないほどの強烈な報道を朝日は展開しつづけるのである。
 もちろん、戦況が不利になっても、その驚くべき報道は衰えを知らない。

 朝日の米軍への憎しみを煽る記事が目立つようになるのは、サイパン島陥落以降だ。
 米兵が、日本兵の髑髏を記念品として少女に送ったという記事を写真と共に米誌『ライフ』が掲載したとして、こんな記事を書いている。


 の見出しのもと、

(昭和19年8月11日)
 
さらには、

(同年8月13日)
 という具合だ。

 そして、朝日新聞の常軌を逸した軍国報道は、終戦が近づくとさらに激しさを増す。

 敗戦がわずか3週間後に迫った昭和20年7月25日に至っても、


 と、この期に及んで特攻を賛美・推進している。その欺瞞の姿勢は、終戦を察知しながら、終戦前日の8月14日に、


 と題する社説を掲げ、


 と戦争継続を主張するところにも現れている。

いまだ戦争責任を取らず

 その徹底した紙面は見事というほかないが、朝日と覇を争って軍国報道に血道を上げた毎日新聞が、終戦直後に社
長以下、有力幹部が責任をとって続々辞任したのに比べ、朝日は、社主の村山派と反村山派の権力抗争が繰り広げ
られ、実に3カ月を経た11月に両派が退陣するまで、すべてが曖昧にされるのである。

 稲垣氏(前出)がいう。
 「前述したように、その末に出された『国民と共に立たん』という宣言さえ、軍部に責任を転嫁したものに過ぎませんで
した。そればかりか朝日は戦後今度はGHQに擦り寄り、持ち上げ記事を掲載するようになり、事前に是非読んでくれ
と、GHQに掲載前に記事を持っていくことまでしていたことが、米の公文書に記されています。要するに朝日は、戦時
中は軍部に擦り寄り、戦後はGHQ、そしてやがては中国やソ連という共産勢力に擦り寄って、時代時代に現われる強
い相手を礼賛する報道を続けるのです。変わり身の早さと、強い者にはとことん擦り寄るその姿勢は戦前から一切変
わっていませんね」

 元日経新聞記者でコラムニストの井尻千男氏(拓殖大学日本文化研究所長)もいう。
 「戦後の朝日にとっては、結局GHQが大本営であり、占領期が終って以降は、中国が大本営になったんです。

朝日はセンチメンタリズムというか感情論だから、GHQや中国の言うことを聞いている方が大衆受けすると思ったんだろうね。

やがて北京政府や韓国政府の言いなりになり、反日・自虐史観を前面に押し出すようになるんです。そして少しで
も日本の政府要人が北京政府の気に障ることを言おうものなら、すぐにご注進して問題化するという”ご注進ジャーナリズム”を作りあげた。

自ら戦争を煽り、礼賛した朝日は日本の近代史を断罪する資格などないはずなのに、GHQや中国に擦り寄ることによってこれを断罪する側に回ったのです。その無定見さ、臆面もない大衆迎合ぶりは見事というしかありません」

 さて、朝日新聞の言い分も聞こう。

 「朝日新聞は、自らの戦争責任を明確にするため、社長以下の役員、編集幹部が退陣し、1945年11月7日の1面に宣言『国民と共に立たん』を掲載して、国民の側に立った新聞社になることを誓い、以来それに沿った新聞づくりを進めてきました。

戦前の小紙の振る舞いについては、ひとことで総括できるものではありませんが、戦後50年にあたる1995年の2月以降に連載した、自らの戦争責任を検証する企画記事をはじめ、折々に、検証記事を載せています」(広報室)

 それらが姑息なすり替え記事に過ぎなかったことは前述の通りだ。戦後、日本人としての誇りや気概を失わせることにひたすら邁進してきた朝日新聞のこれが正体である。

「週刊新潮」平成14年8月29日号より抜粋

geocities.jp様より抜粋引用
http://www.geocities.jp/pekin_chan/page034.html

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