高倉健さん死去『 まるで神様のような男性だった』
史上いちばん男らしい男、中国も速報!
日本人の美学重ね、不器用な男!
みんなが知るべき情報
<高倉健さん死去>「不器用な男」
日本人の美学重ね
毎日新聞社
日本映画界最高の銀幕のスター、高倉健さんが10日、83年の生涯を閉じた。俳優の名前で多くの観客を映画館に呼べる数少ない俳優だった。晩年まで、私生活をほとんど公にすることはなく、役柄のイメージの高倉健を観客の心に残したまま旅だった。
「健さん」として親しまれてきたのは、役の中での男の生きざまであり、高倉さん自身の生き方も重なって多くのファンが魅了された。日本映画は長年映画界をけん引してきた大きな柱を失った。
高倉さんが人気を不動にしたのは任(にん)きょう映画。1960年代に大人気となった「網走番外地」「日本きょう客伝」シリーズなどは、学生運動に身を投じる若者らからも圧倒的な支持を得た。
着流しのアウトローが逆境に耐えながらも復讐(ふくしゅう)を果たす物語に観客は熱狂した。多くを語らず、いざという時に体を張って、義理や人情を大事にする姿は、男っぽさの神髄と受け入れられた。
任(にん)きょう映画の減少とともに、高倉さんは人間ドラマやアクション、大作へと出演映画のフィールドを広げた。
ただ、過酷で暗い過去をひきずり、大きな重荷を背負って生きる役はその後もずっと続いた。青函トンネル開通に挑む男を演じた「海峡」(82年)、殺人事件を犯し逃亡しながらも母子家族の酪農を手伝う日本版「シェーン」といわれる「遥かなる山の呼び声」(80年)、引かれた女の元情夫が手配中の男と知り職務を遂行する刑事役の「駅 STATION」(81年)など。
武骨で口数は少ないが、人の情を大事にする素朴な男。「幸福の黄色いハンカチ」はその頂点の作品といっていいだろう。愚直なまでのきまじめさ、人生を常に遠回りしてしまい、必死に生きていても損な役回りになってしまう男の姿に、観客は共感と人生のつらさ、悲しみを感じた。
最新作「あなたへ」(2012年)がコンビを組んで20作目となり、高倉さんが最も信頼を寄せる降旗康男監督は同作で「健さんも年を取り、過去の重荷から解放してあげたかった」と話した。
さらに、「普通の俳優は努力して人物のキャラクターに入っていくが、健さんはキャラクターを自分の中に入れてしまう。だから、相手とふれあうことでしか芝居が出てこない」。自身を「不器用」と言うのは「それを自認しているからだ」と説明した。
礼儀正しく、人情に厚く、物事の筋を通す性格はずっと変わらない。
撮影現場では、若い新人俳優などにも丁寧にお辞儀してあいさつ。緊張感をほぐすために、共演者に気を使うことでも有名だ。
12年9月、「あなたへ」がモントリオール世界映画祭に出品された時も、「『鉄道員(ぽっぽや)』(99年)で最優秀男優賞をいただいたお礼が言いたかった」と80歳を過ぎて同映画祭に参加。得意の英語で受け答えする場面もあった。【鈴木隆】
2014 毎日新聞社 ALL Rights Reserved.
BIGLOBEニュースより
http://news.biglobe.ne.jp/domestic/1118/mai_141118_5389802642.html
高倉健さん死去:中国メディアも速報
中高年世代に知名度
毎日新聞 2014年11月18日
中国の映画大客員教授に就任。張会軍院長(左)らからの質問に答える高倉健さん=北京電影学院で2006年4月19日
【北京・工藤哲】
俳優の高倉健さんの訃報は中国の一部メディアも速報した。高倉さんは中国でも中高年世代を中心に知名度が高く、映画関係者に大きな影響を与えた存在として知られている。
中国では、高倉さんが中野良子さんと共演した「君よ憤怒の河を渉れ」(中国名・追捕)が1970年代に大ヒット。高倉さんのファンが急増した。高倉さんは、中国雲南省などを舞台に張芸謀(チャンイーモウ)氏らが監督を務めた「単騎、千里を走る。」(中国で2005年公開)にも出演した。
高倉さんの訃報を受け、中国版ツイッター「微博」には「小さいころから知っていた。こんな日本人はいない」、「まるで神様のような男性だった。残念」などと高倉さんを悼む声が書き込まれている。
毎日新聞より
http://mainichi.jp/select/news/20141118k0000e030228000c.html
sohnandae Twitter→Twitter
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<高倉健さん死去>「不器用な男」
日本人の美学重ね
毎日新聞社
日本映画界最高の銀幕のスター、高倉健さんが10日、83年の生涯を閉じた。俳優の名前で多くの観客を映画館に呼べる数少ない俳優だった。晩年まで、私生活をほとんど公にすることはなく、役柄のイメージの高倉健を観客の心に残したまま旅だった。
「健さん」として親しまれてきたのは、役の中での男の生きざまであり、高倉さん自身の生き方も重なって多くのファンが魅了された。日本映画は長年映画界をけん引してきた大きな柱を失った。
高倉さんが人気を不動にしたのは任(にん)きょう映画。1960年代に大人気となった「網走番外地」「日本きょう客伝」シリーズなどは、学生運動に身を投じる若者らからも圧倒的な支持を得た。
着流しのアウトローが逆境に耐えながらも復讐(ふくしゅう)を果たす物語に観客は熱狂した。多くを語らず、いざという時に体を張って、義理や人情を大事にする姿は、男っぽさの神髄と受け入れられた。
任(にん)きょう映画の減少とともに、高倉さんは人間ドラマやアクション、大作へと出演映画のフィールドを広げた。
ただ、過酷で暗い過去をひきずり、大きな重荷を背負って生きる役はその後もずっと続いた。青函トンネル開通に挑む男を演じた「海峡」(82年)、殺人事件を犯し逃亡しながらも母子家族の酪農を手伝う日本版「シェーン」といわれる「遥かなる山の呼び声」(80年)、引かれた女の元情夫が手配中の男と知り職務を遂行する刑事役の「駅 STATION」(81年)など。
武骨で口数は少ないが、人の情を大事にする素朴な男。「幸福の黄色いハンカチ」はその頂点の作品といっていいだろう。愚直なまでのきまじめさ、人生を常に遠回りしてしまい、必死に生きていても損な役回りになってしまう男の姿に、観客は共感と人生のつらさ、悲しみを感じた。
最新作「あなたへ」(2012年)がコンビを組んで20作目となり、高倉さんが最も信頼を寄せる降旗康男監督は同作で「健さんも年を取り、過去の重荷から解放してあげたかった」と話した。
さらに、「普通の俳優は努力して人物のキャラクターに入っていくが、健さんはキャラクターを自分の中に入れてしまう。だから、相手とふれあうことでしか芝居が出てこない」。自身を「不器用」と言うのは「それを自認しているからだ」と説明した。
礼儀正しく、人情に厚く、物事の筋を通す性格はずっと変わらない。
撮影現場では、若い新人俳優などにも丁寧にお辞儀してあいさつ。緊張感をほぐすために、共演者に気を使うことでも有名だ。
12年9月、「あなたへ」がモントリオール世界映画祭に出品された時も、「『鉄道員(ぽっぽや)』(99年)で最優秀男優賞をいただいたお礼が言いたかった」と80歳を過ぎて同映画祭に参加。得意の英語で受け答えする場面もあった。【鈴木隆】
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BIGLOBEニュースより
http://news.biglobe.ne.jp/domestic/1118/mai_141118_5389802642.html
高倉健さん死去:中国メディアも速報
中高年世代に知名度
毎日新聞 2014年11月18日
中国の映画大客員教授に就任。張会軍院長(左)らからの質問に答える高倉健さん=北京電影学院で2006年4月19日
【北京・工藤哲】
俳優の高倉健さんの訃報は中国の一部メディアも速報した。高倉さんは中国でも中高年世代を中心に知名度が高く、映画関係者に大きな影響を与えた存在として知られている。
中国では、高倉さんが中野良子さんと共演した「君よ憤怒の河を渉れ」(中国名・追捕)が1970年代に大ヒット。高倉さんのファンが急増した。高倉さんは、中国雲南省などを舞台に張芸謀(チャンイーモウ)氏らが監督を務めた「単騎、千里を走る。」(中国で2005年公開)にも出演した。
高倉さんの訃報を受け、中国版ツイッター「微博」には「小さいころから知っていた。こんな日本人はいない」、「まるで神様のような男性だった。残念」などと高倉さんを悼む声が書き込まれている。
毎日新聞より
http://mainichi.jp/select/news/20141118k0000e030228000c.html
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